にょすけブログ②
のべるぶ
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多分、このまま雨が続いたら僕の住んでいるアパートは水没するのではないか。
そんな気がしている。そんな日。
最近ののべるぶでは、せしぼんくん主催で「シナリオの面白さを紐解く」という
ステージが開催されている。
これがまた、実に面白い。
なんとなく日頃面白いと思えている事も、言語化した瞬間に
その面白さを自分のものとできたみたいな感覚になるのだから不思議だ。
また、せしぼんの話し方がうまいのなんの。
あれでシナリオライティングはほぼ初めてだって言うんだから恐ろしい。
今回、ピックアップしてもらったのが拙作「THE LAST SONG」。
いままでいとこうさん(https://twitter.com/itocoh?s=20)を追いかけていた立場の自分が
追いかけられる立場になるのはうれしくもありくすぐったくもあり。
でも、限りなく正解に近い事だと思うわけです。
のべるぶ内のコンテストにて一位をとる事ができた拙作は、
物語としての正解ではなく、「楽しさの正解」を獲得したと言う事になります。
では、それが何故楽しかったのか。
そして、自分の作品とその作品の決定的な違いは何なのか。
それをすぐに研究して、身にし、再現していく。
その連続が、確実に面白い作品を作っていくんですよね。
それを、即座に実行し、周りに共有できるせしぼん君はやはりすごい。
多分ボイコネ全盛期に彼と出会っていたら、彼はすぐ俺の要素なんて吸収して
更に高みへ、と嵐のように駆け上がっていったのではないかな、と思います。
恐らく、彼が彼として思った事等はこのブログに自分で書き込むであろうと
勝手に信じ(笑)
僕が、僕として思う、こういった部分が面白く思ってもらえたのではないかな?という話を
書いていこうと思います。
1.余白・余地
この物語は急に始まります。
シーンとしては、「オプラティムという俳優が、セリフ回しを練習し、納得していない」という場面から。
なぜそこに至ったのか、彼らは何を想っているのかの前提など無しに、突然に物語は始まるのです。
そこで何が発生するのか?
「キャスト」が場面を「自身で想像する」という状況を作る事ができる。
物語の中でも書いていますが「その場であったことをそのまま演じるのが演技ではない」という美学がオプラティムとビゴーの言葉として表現されています。
通常の演劇や、ドラマ等であればおそらくこれでは駄目なのです。
でも、今こうしてここにある作品は「みんなが楽しむ為に作られた、楽しむための声劇台本」なんですよね。
と、言うことは。
聞く人に向けて、易しく状況の説明がされているよりも
「なぜ、この場面がスタートなのか」をキャストさんに考えさせてあげるほうがいい。
そういった余白が多い事で、この文字上で書かれている以上の背景をキャストさんに
考えさせる事ができます。
また、このシーン実は
僕がボイコネで投稿していた「バルトロマイ」という台本の構成と同じなのです。
役者と役者がそこに立ち、自身の演技の良し悪しを語る。
構図は同じ。だからこそ、成功体験として「この構図はおもしろい」が僕の中ではっきりとあったわけですよね。
そのバルトロマイも同じ。実は、「クライマックス」から始まっている。
2.クライマックスからはじめる
いやいや、クライマックスじゃないじゃん。と。
そうです、クライマックスじゃないです。
でも、クライマックスでもある。
何のクライマックスなのか?それは、キャラクターの「心の0章」のクライマックスが、そこに来ているんです。
例えば、このオプラティムという俳優、今この場で「演技がしっくりこない」と感じてここに来ているのでしょうか?
答えは否、「本来であれば、加筆し、ストーリーにしてもいい程のドラマがまず存在し」
そこから「自分の演技は違うのではないか」と悩み、第0章(があったとして)の最後、
「こんなんじゃだめだ!」と奮い立ってこの場にいる、という「一番面白い場面から書く」という
事がここで発生してるんです。
でも、その第0章の冒頭から細かく書いてしまうと、この物語はどうしても
「だれてしまう」。
それはなぜか、この物語のテーマは「俳優が悩んだ」ことではなく
「努力の天才俳優が、国の禁忌に【演技】で気づき」
「それを暴くか、暴かないか」
「選択を迫られる」
という部分。ここにこの物語のテーマと一番の面白さが詰まってるわけです。
だから、本来なら書きたくてたまらない「第0章」をあえて省く。
引き算の書き方をしているわけです。
TMIという言葉があります。情報を書きすぎてしまう事、過多に情報を与えてしまうという意味です。
▼TMI(トゥー・マッチ・インフォメーション)とは(ちなみにライティング用語ではないぞ!)
このTMIが実は、物語の面白さを削ってしまう可能性がある。
※あくまでにょすけの美学だよって事だけ忘れないでね!
その場に必要なない情報は不自然に盛り込まない。
もしその情報が必要なのであれば「説明」を入れ込むのではなく
「会話」の中でそれがでてくるのが自然なのです。
3.「会話」で情報を落とす
ちょっとなんて言う技法だったのか忘れてしまったんですけどね。
「ハリーポッター」ってあるでしょ。あの超ファンタジー小説。
あの小説の「面白い理由」の一つに、「ハリーポッター」が居る事ってのがあるんですよ。
何言うてんねん?って思うと思うんですけど、違うんです。
そうよね、そりゃ、主人公がいるから面白い、そんなの当たり前。
でも、そうじゃない。
「ハリーポッター」って、主人公であって、主人公じゃないんです。
「ハリーポッター」って、実は「読者」そのものなんですよ。
それはどういうことなのか。
あの小説っていわゆる「ハイファンタジー」という分類ではなく
「ローファンタジー」と呼ばれる「現実世界」の話が含まれるファンタジーですよね。
なので、本来説明が必要な世界観の説明が最小限で済んでいるのも面白い要素の一つなんですが
(先ほどのTMIが発生してない)
それ以上に、「ハリーが得る魔法界の知識」と「読者が得る魔法界の知識」が同じ速度なんですよ。
実はこれがめちゃくちゃに重要。
ハリーは魔法使いという立場でありながら、魔法界の事を何も知らない。
だから、聞くんですよね。「ねえ、それはなに?」「魔法の杖です」「魔法の杖!?」ってな具合に。
そしてその瞬間、「ハリーが読者に説明する」ではなく
「ハリーが誰かとの会話や行動によって情報を得た事を、読者が知る」という流れになっている。
一度もそこに「作者」が登場しないんですよ。
「物語の中に作者を登場させない」
イコールそれは、
「作者のエゴを押し付けない」という意味にもなると思います。
「この情報は知っておいてね」「ここはこういう世界だからね」という
作者の「知ってほしい」という気持ちが出てきた時点で
実はその物語って「物語」ではなくなってしまうんです。
物語を、物語として大切にするためには
実はそこに作者がいちゃいけないという「声劇台本ライターのジレンマ」というものがそこにはあるのです。
例えば、のべるぶのコメント欄で説明したコレ。
◆◆
よくにょすけがやるキャラクターセリフ構築の重要な変換。
ーーーー
部下:先輩、奥さんに禁煙するって約束してたのになんでこんなところに居るんですか?
先輩:うるさいなお前は。
部下:先輩がタバコを吸わないように監視してくれって奥さんから言われてたんですよ。
先輩:なんでここがわかったんだよ。
部下:先輩とは長い付き合いですからね。
ーーーー
状況としては、
・先輩は禁煙をしている
・部下は奥さんと繋がりがある
・二人は長い付き合い
という3つの状況がこのワンシーンにはあるとします。
この上記の書き方でもそれは伝わります。
では、ちょっと変換してみます。
ーーーー
部下:探しましたよ、先輩。
先輩:……またお前か。
部下:いいんですか?
先輩:なにが。
部下:怒られちゃいますよ、奥さんに。
先輩:別に。
部下:……ふーん?じゃあ奥さんに伝えておきますね、その口に咥えてるもののこと。
先輩:ば、お前、やめろ。
部下:……ぷっ、嘘嘘、しませんよ。今までだって私がそんな告げ口みたいな事したことあります?
先輩:……ないな。
部下:でしょ、いっつも落ち込むと先輩はここに来るんですから。
先輩:よくわかってるな。
部下:……当たり前ですよ。
ーーー
同じ事、同じ条件でセリフ回しを変えただけで印象が変わります。
ここで恐らく気づいたはずです。「説明をするためのセリフ」って面白くないんですよ。
物語の進行とするために必ず必要な「状況説明」。
でもこれを「説明」の為に「説明」をしてしまった瞬間に、とにかく面白くない。
これが声劇の難しい所で、かつ、ここを変えるだけで物語がぐっと締まる一番の重要ポイントでもあります。
(とはいえ僕もたまにやらかすんですけど)
情報を情報のまま落とすのではなく、
「会話の中で(セリフの中で)情報を落とす」事で、面白くない「説明」がとたんに
キャラクターたちの関係性となってそこに出てきます。
これがめちゃくちゃ大事なんです。
そして、その為にしなければいけない事は……
4.語り部アルパカという存在
この、語り部アルパカという存在が全てをまとめあげてくれました。
このTHE LAST SONGには、どうしても今何が行われているのかという
状況を説明しなければならない場面が存在します。
それをキャラクターたちの会話だけで落とすのはどうしても無理があった。
だから、「語り部アルパカ」が必要だったんです。
この「語り部アルパカ」というキャラクターは
そもそも人間の言葉を覚えます。
それを、自然と読者やリスナー、キャストに知らしめる必要がある為
物語の冒頭のセットアップ(設定を決める、表示させる場面)で
オプラティムとビゴーのやり取りの際に、語り部アルパカがそこに居るのです。
二人の会話を聞いたり、教える事で「言葉を覚えるアルパカ」この設定も
僕は物語の中で説明していません。
オプラティムがビゴーに対して言います。
「おい、変な言葉教えるなよな」
ただこれだけ。ただこの一言だけで、ビゴーが語り部アルパカに言葉を教え
語り部アルパカは人の言葉を話すという情報が落ちます。
(かつ、ビゴーは変な言葉を教えるひねくれ者=オプラティムとの関係性も見えてくるよね)
(オプラティムは生真面目で、ビゴーのいたずらをよく注意していると言う構図)
(そこに、キャラクターが出てくるでしょ。説明していないのに)
そのセットアップが完了したらあとは、「説明をはさまなければいけない状況説明」や
「場面転換の発生」「本来モノローグやト書きで話す内容」を
「セリフ」「口上」として、語り部アルパカに「キャラクターの会話として」話をさせる事に
成功したわけです。
結果、一番面白くない事をしている(説明)はずの語り部アルパカが
物語の中で一番重要なセリフをしゃべり、かつ、人外である事で演技幅が自由に決められる
という「キャスト」にとって演じて楽しいキャラクターに化けさせました。
実はこの物語の中で一番重要なのが、この語り部アルパカだったんですよね。
▼以下、三幕構成の話と共にのべるぶ内で説明したポイント
一幕目▶︎冒頭10分のセットアップでオプラティムとビゴーの関係性と、
語り部アルパカというキャラが「言葉を覚えて」劇中にト書きとなるはずの場面説明をしても、
声劇として違和感が無いことを、示唆。
本来なら、ト書き説明を劇中に入れると話のテンポが崩れるため得策ではないし、
配役として、嫌がられる。
でも、語り部アルパカがキャラクターとして語りを行う事が違和感ない状況を作ったことで
本来嫌われる場面説明などを、逆に美味しい場面に消化させた。
また、それぞれのキャラクターの関係性を強調するセリフを置いて行くことで2幕目の衝突時に余計な説明わ入れず「会話」をさせることができる。
二幕目▶︎わかりやすい障害として、「警備員」に追いかけられ、ピンチに。
また、その後オプラティムとビゴーの役者としての衝突を入れることで、
一番の盛り上がり場所と今回の目的
「ゴルドーの真実は暴いてはいけないかもしれない」
「でも、暴きたい」
を、キャラたちに説明させるのではなく「衝突・障害」として表現する必要がある。
三幕目▶︎解決パート。
1と2の葛藤をすべてここで解放。
あとは出すだけ。
そして、ティムとビゴーが行っている劇中劇のゴルドーの真実も、クライマックスシーンは「3幕目」
劇としての面白さで気をつけなければいけないのは
「設定に忠実」なことでも「キャラの心情」でもなく
「如何にキャストが違和感なく、説明口調にならず、物語の真髄で何の話をしているのかを演じる事ができる流れを作るか」です。
僕はどちらかと言えばパンツァーという書き方をする物書きです。
▼パンツァーの説明
とはいえ、まったくプロットを書かないわけではなく
「こうなったらいいな」という簡単な道筋は用意しつつ
その道筋をキャラ達の近くに置き、パンツァーとしてキャラを動かして書いているという
書き方をしています。
パンツァーだからいい、プロッターだからいいというわけでは無く
あくまで自身の書き方はどういう書き方なのか?を理解して
そこに足りないもの、得意な事を乗せて書くことが重要なんじゃないかなと僕は思っています。
とはいえ僕も道半ば。
上記で説明した要素が、これを読んでくれたあなたの物書きとしての栄養になればいいな。
次回は、僕の推し作家が「なぜ最高なのか」という話を投稿します。
またのん!
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